広島電鉄本線 土橋停留場
土橋(どばし)
本線 十日市町 土橋 小網町
江波線 舟入町
所在地 広島県広島市中区堺町一丁目
駅番号   M13  
所属事業者 広島電鉄
所属路線 本線
キロ程 3.4km(広島駅起点)
所属路線 江波線
キロ程 0.0km(土橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員 7,548人/日(2019年)
開業年月日 1912年(大正元年)12月8日
土橋停留場
土橋停留場
3900形電車と1000形電車 3900形電車
3900形電車と1000形電車 3900形電車
土橋停留場(どばしていりゅうじょう)とは、広島市中区堺町にある、広島電鉄の路面電車停留場である。駅番号はM13。
広島電鉄本線と江波線が分岐する、乗り換え停留場である。
当停留場はまず本線の停留場として1912年(大正元年)に開業した。開業時の停留場名は土橋筋停留場であったが、大正期には土橋停留場に改称されている。また、当停留場から紙屋町方面へ向かう路線は当初、北に位置する十日市町を経由せずに南回りで左官町まで通じていた。
一方江波線が開通したのは1943年(昭和18年)のことである。この時すでに十日市町には横川線が通じており、次いで土橋と十日市町を短絡して江波線と横川線を直通させる新線の建設が進められた。従来南回りで土橋と左官町を結んでいた区間は軌道が敷かれている道幅が狭く、また半径の小さなカーブが連続していて電車運行の上でボトルネックとなっていたことから、円滑な電車の運行のためこの区間の解消が図られたのである。この新線は翌年の1944年(昭和19年)に開通、すでに左官町と十日市町を結んでいた横川線の線路と合わせて本線に組み込まれ、それまで南回りで土橋と左官町を結んでいた線路はこのとき廃止された。
1945年(昭和20年)8月6日には原爆投下により広島電鉄の市内線も被害を受け休止されるが、路線は己斐方面から復旧、同年中には本線が、2年後には江波線が運行再開を果たしている。
当停留場は、道路上にホームが設けられている。土橋町交差点の上で本線から江波線が分岐しており、本線は交差点から北と西方向、江波線は南方向へ通じている。ホームは低床式で2面あり、いずれも交差点の北側、本線の線路を挟み込むように向かい合って配置されている(相対式ホーム)。2路線が分岐する停留場であるが乗り場はまとめられていて、線路の東側に広電西広島駅・江波停留場方面の下りホーム、西側に広島駅方面の上りホームがある。上屋は1988年4月に取り付けられた。その後2014年には上屋の増設やホームの拡幅など停留場がリニューアルされている。
上りは広島駅・横川駅・広島港行き電車、下りは江波・宮島口・西広島行きが行き来する乗り換え停留場の上、3連接車両の電車が頻繁に止まるのでホームの長さは長めに取られている。しかし朝のラッシュ時などは通勤・通学客で混雑することが多く、乗降整理のための駅員が上りホームに配置される。駅員が配置されている時間帯は入口扉からも降車が可能。
江波線の舟入町寄りには渡り線があり、折り返し運転の際に用いられる。

運行系統
上りホーム      0 日赤病院前ゆき・広電本社前ゆき 
2・6 広島駅ゆき
3 広島港ゆき  一部は宇品二丁目ゆき
8 横川駅ゆき
9 白島ゆき
下りホーム   2 広電宮島口ゆき
2・3 広電西広島ゆき
6・8・9 江波ゆき


1912年(大正元年)12月8日 - 本線が己斐まで開業した際に土橋筋停留場として開業。
1917年(大正6年)ごろ - 土橋停留場に改称。
1943年(昭和18年)12月26日 - 江波線が土橋から舟入本町まで開業。
1944年(昭和19年)12月26日 - 左官町から土橋までの線路が十日市町経由に変更。それまでの南回りの経路は廃止される。
1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆投下により休止。
1945年(昭和20年)8月19日 - 本線が小網町から土橋まで復旧。
1945年(昭和20年)8月21日 - 本線が土橋から十日市町まで復旧。
1947年(昭和22年)11月1日 - 江波線が営業再開。
2013年(平成25年)2月15日 - 9号線の運行が八丁堀から江波まで延長され、当停留場にも乗り入れる。
2014年(平成26年)2月28日 - 停留場の改良工事が完了。