横川一丁目(よこがわいっちょうめ) |
別院前→横川一丁目→横川駅 |
所在地 |
広島市中区横川町一丁目 |
駅番号 |
Y4 |
所属事業者 |
広島電鉄 |
所属路線 |
横川線 |
キロ程 |
1.2km(十日市町起点) |
駅構造 |
地上駅 |
ホーム |
2面2線 |
乗降人員 |
1,076人/日(2019年) |
開業年月日 |
1917年(大正6年)11月1日 |
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横川一丁目停留場 |
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ホームの上屋が長い |
1000形電車 |
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横川一丁目停留場は、広島県広島市中区横川町一丁目にある、広島電鉄横川線の駅です。駅番号はY4。
当停留場は1917年(大正6年)、横川線の開通と同時に光隆寺前停留場として開設されました。名前の通り、当時は停留場のすぐ西に光隆寺という寺院が存在していました。横川線は当初、道路から軌道敷が独立した専用軌道にて開通しましたが、都市計画道路の建設によりこれを併用軌道とすることになりました。このとき光隆寺は境内が道路の建設用地となるために立ち退きを行い、三篠町へと移っています。道路が建設され、併用軌道となった1938年(昭和13年)ころには停留場名も横川一丁目へと改められています。横川線をはじめとする広島電鉄の市内電車は1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により全線が不通となります。また直後の9月には枕崎台風が襲来し、南隣の別院前停留場との間に架けられていた軌道橋(現在の横川新橋)が流失します。軌道橋が復旧し、当停留場を含む別院前
- 横川間が運転を再開したのは1948年(昭和23年)のことでした。
横川線の軌道は道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが設けられています。ホームは低床式で2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームという形態をとります。線路の東に十日市町方面へ向かう上りホーム、西に横川駅へ向かう下りホームがあります。
2003年(平成15年)には停留場の設備が改修されています。
運行系統
下りホーム |
7・8 |
横川駅ゆき |
上りホーム |
7
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広電本社前ゆき |
8 |
江波ゆき |
1917年(大正6年)11月1日 - 横川線が開通、同時に光隆寺前停留場として開業。
1938年(昭和13年)頃 - 横川一丁目停留場に改称。
1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆投下により横川線が全線不通となる。
1948年(昭和23年)12月18日 - 横川線の別院前 - 横川間が運転再開、横川線が全線で復旧。
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