御幸橋(みゆきばし) |
広電本社前→御幸橋→皆実町六丁目 |
所在地 |
広島県広島市中区千田町三丁目 |
駅番号 |
U8 |
所属事業者 |
広島電鉄 |
所属路線 |
宇品線 |
キロ程 |
2.3km(紙屋町起点) |
駅構造 |
地上駅 |
ホーム |
2面2線 |
乗降人員 |
1,379人/日(2019年) |
開業年月日 |
1912年(大正元年)11月23日 |
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御幸橋停留場 |
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800形電車 |
1000形電車 |
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御幸橋停留場は、広島県広島市中区千田町三丁目にある、広島電鉄宇品線の駅です。駅番号はU8。
御幸橋の西詰に位置する御幸橋停留場は1912年(大正元年)、宇品線の開業と同時に紙屋町方面から来た路線の終点として開設されています。当停留場から先、宇品地区へ向かう区間も次いで建設が企図されたが、そのためにはまず御幸橋が架かる京橋川を越えなければならなかった。当時の御幸橋には軌道を敷設する余裕がなく、また新しく軌道専用橋を架けるにも川幅の広い京橋川を渡るためには長大な橋が必要であったため、ひとまず京橋川への架橋は後回しにしてまず御幸橋の東詰から宇品までの区間で路線が敷設されました。
この区間は1915年(大正4年)に開通し、当停留場と御幸橋東詰にある停留場の間は御幸橋を介する徒歩連絡で結ばれました。
架橋を後回しにしてまで宇品までの路線建設を急いだのは、同年に紙屋町および宇品周辺で開催が予定されていた広島県物産共進会までに開通を間に合わせたいという事情があったためで、実際に宇品までの区間が開通したのも共進会の開会3日前のことでした。懸案であった京橋川への架橋は4年後の1919年(大正8年)に達成され、ここに至ってはじめて広島駅前から宇品までが電車で直接結ばれました。これは軌道専用橋によるものであったが、1931年(昭和6年)には架け替えにより道路と軌道の併用橋になった2代目の御幸橋に取って代わられています。
太平洋戦争下の1944年(昭和19年)になると御幸橋停留場は営業を休止しています。そして1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により宇品線をはじめとして市内電車は全線が不通となっています。それでも宇品線は電鉄前から向宇品までの区間が同月18日には復旧、当停留場もこのとき営業を再開しています。なお御幸橋については被爆後も2代目の橋が使用されていたが、老朽化や橋上の交通量の増加の影響もあって1990年(平成2年)に新しい橋へ架け替えられています。
宇品線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが置かれています。ホームは低床式で2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームとなっています。路線の起点から見て左側に広島港方面へ向かう下りホームが、右側に紙屋町・本線方面へ向かう上りホームがあります。ホーム長は3両・5両連接車に対応しています。上りホームはホーム全長にわたって屋根が設けられているが、下りホームは1両単車の乗車口付近にしか屋根が設けられていません。
運行系統
下りホーム |
1・3 |
広島港ゆき |
3 |
宇品二丁目ゆき |
上りホーム |
0 |
広電本社前ゆき |
1 |
広島駅ゆき |
3 |
広電西広島ゆき |
1912年(大正元年)11月23日 - 開業。
1915年(大正4年)4月3日 - 宇品線の御幸橋東詰 - 宇品間開業。御幸橋 - 御幸橋東詰間は御幸橋を介する徒歩連絡となる。
1919年(大正8年)5月25日 - 御幸橋 - 御幸橋東詰間の京橋川に電車専用橋が完成。宇品線全線で直通運転となる。
1944年(昭和19年)6月10日 - 停留場の営業を休止。
1945年(昭和20年)8月18日 - 停留場の営業が復旧。
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