JR北海道 砂川駅
砂川(すながわ)
函館本線 豊沼 砂川 滝川
所在地 北海道砂川市東2条北3丁目
駅番号 A20
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 函館本線
キロ程 362.2km(函館起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗降人員  1,364人/(2018年) 
開業年月日 1891年(明治24年)7月5日
駅種別 直営駅(管理駅) みどりの窓口
話せる券売機設置駅
砂川駅
砂川駅
駅名標 出札窓口
駅名標 出札窓口
改札口 跨線橋
改札口 跨線橋
789系1000番台電車 ホーム
789系1000番台電車 ホーム
砂川駅(すながわえき)は、北海道砂川市東2条北3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。 駅番号はA20。電報略号はスナ。事務管理コードは▲130140。
砂川市の代表駅で、「オホーツク」2号と上り「宗谷」を除く特急列車が停車する。
幌内鉄道を受け継いだ北海道炭礦鉄道は、明治23年4月9日、夕張と空知の両炭山開発を進めるため、それぞれの支線とそれが繋がる幹線計画を北海道庁に提出した。この計画で、空知炭山支線(歌志内線のこと)の分岐点に策定されたのが当駅である。
計画当初の仮称は「歌志内」で、後に「砂川」に改められて「歌志内」は支線の終点駅名にされた。
なお、開業時は幹線支線共に空知線と称された。
歌志内や上砂川の空知炭田から出炭される石炭貨物の中継基地だった。
また、周囲には枕木の防腐処理工場(大正時代初頭まで)や枕木製造の木工場、軌道用の砂利採取場(昭和37年まで)を抱え、鉄道敷設に欠かせない資材供給の拠点でもあった。
特に中国大陸へ進出していた昭和の初めから終戦までは、国内のみならず満洲や中国の鉄道用に大量の枕木が生産発送されて、町中を木材の匂いが覆い、石炭よりも木材の町としての印象が大きかった。

歴史

  • 1891年(明治24年)7月5日:北海道炭礦鉄道空知線の岩見沢 - 砂川、及び砂川 - 歌志内が開通し、砂川駅として開業。
  • 1892年(明治25年)2月1日:現・函館本線の旭川方面(砂川 - 空知太)が開通。
  • 1893年(明治26年)下期:転車台設置。
  • 1898年(明治31年)
    • 上期:構内模様替え及び跨線橋設置。
    • 7月16日:北海道庁鉄道部上川線、滝川 - 空知太間接続開通。北海道炭礦鉄道との契約により滝川 - 砂川が北海道庁鉄道部により使用とされ、同時に空知太駅廃止。砂川を共同使用駅とする。
  • 1901年(明治34年)8月31日:滝川機関庫砂川派出所設置。
  • 1903年(明治36年)上期:三井物産砂川木挽工場(後に三井木材工業砂川工場)専用線約360m敷設。「三井物産砂川木挽工場沿革」大正2年頃発行 によれば、明治35年創業当時に専用鉄道26C、明治38年頃に専用鉄道1M3Cおよび軽便軌道8M15C、大正元年頃に専用鉄道1M33Cおよび軽便軌道6M2Cだった。この軽便軌道はパンケウタシナイ川とペンケウタシナイ川の合流地点にあった流送木材の陸揚げ土場(網場)から木工場へ向かってパンケウタシナイ川の右岸に沿って敷かれた軌道である。
  • 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管。
  • 1909年(明治42年):砂利岐線敷設。
  • 1918年(大正7年)11月5日:三井鉱山の請願により、上砂川の三井鉱山砂川炭鉱まで専用線敷設開業。
  • 1926年(大正15年)8月1日:三井鉱山専用線を函館本線の上砂川支線とし、旅客扱い開始。上砂川支線ホームまでの跨線橋設置。
  • 1942年(昭和17年):駅構内拡張工事。
  • 1954年(昭和29年)
    • 6月10日:駅舎改築。
    • 8月11日:昭和天皇、香淳皇后が砂川市に行幸啓。お召し列車が発着。
  • 1963年(昭和38年):砂利岐線952m撤去。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:貨物取扱廃止。
  • 1985年(昭和60年)3月14日:荷物取扱廃止。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる。
  • 1988年(昭和63年)4月25日:歌志内線廃止。
  • 1989年(平成元年)9月15日:駅舎改築。
  • 1994年(平成6年)5月16日:函館本線上砂川支線廃止。
  • 2006年(平成18年)10月20日:砂川市が駅周辺地区整備事業で自由通路設置。
  • 2014年(平成26年)11月29日:キヨスク休業、その後2015年秋に閉店を内部決定。
  • 2016年(平成28年)1月:旧キヨスクを撤去、待合スペースに転用。
  • 2022年(令和4年)3月2日:話せる券売機を導入。
  • 2023年(令和5年)7月10日:出改札営業時間を短縮し、日祝休業となる。
  • 2024年(令和6年)3月16日:ICカード「Kitaca」の利用が可能となる。

名前の由来

アイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ(砂の多い川)」の意訳から。駅名の方が古く、自治体名は後年名付けられたものである。
北海道炭礦鉄道が当線の敷設計画を立てた明治22年頃はこの地域にはほとんど人家がなく、当時一般的には石炭の見つかった現在の歌志内を含めて「オタウシナイ」「オタシナイ」と言われていた。北海道炭礦鉄道会社第二回営業報告(明治23年上期)では『本年工事ヲ施スヘキ部分ハ既成鐵道幌内線岩見澤分岐点ヨリ幹線ヲ起シ「オタシナイ」ニ至リ分岐シテ「オタシナイ」炭山ニ達スル33哩4分ノ3ニシテ…』(原文ママ)と記述され、まだ砂川の名前は現れていないが、同年下期の第三回報告では『線路ノ測量ハ前季ニ繼續シ幹線ノ内砂川(ヲタシナイ太)空知太間ノ實測ヲ結了シ及歌志内(ヲタシナイ炭山)支線ニ於テ各貯炭場ニ達スル支線路ヲ測定セリ』(原文ママ)と記述されており、この頃までに駅名を確定している。
行政的には、同じ時期の明治23年8月7日に奈井江から空知太、歌志内、下赤平までの広い範囲に奈江村が設置された。奈江村の行政中心は砂川駅周辺だが、奈井江駅周辺が中心と間違える人が多く、明治35年の二級町村制施行後に奈江と奈井江が紛らわしいとして明治36年8月23日に砂川村と改称した。ちなみに北海道炭礦鉄道の営業報告では、各用地の住所記載の中に明治23年下期の第三回から「奈井江村」が現れ、明治25年上期の第六回報告で初めて「奈江村」の記述が出てくるが、同時に「奈井江村」の記述もあってその頃まで混乱していたのがうかがえる。明治35年の二級町村制移行前の奈江村には自治権がなく、瀧川村の自治下に置かれていたため、村役場などの実態のない名前だけのものだった。

駅構造

2面3線の相対式・島式ホームを持ち、乗り場は駅舎側から3、2、1番線と並ぶ。ホームは跨線橋で結ばれているが、エレベーターやエスカレータの設置はない。
かつては運炭路線の歌志内線・上砂川支線が発着していたことから多数の側線を有していたが、現在は撤去されている。
駅舎は西側に置かれている。
社員配置駅だが、平日・土曜の日中のみ配置される。みどりの窓口(日祝休業)、話せる券売機設置。
普通列車のほか、大部分の特急列車が停車する。
札幌駅 - 旭川駅間の特急停車駅では唯一フル規格ではない簡易自動改札機導入駅であるため、窓口営業時間外は車掌によるきっぷの回収が行われる以外は改札口に設置の回収箱による回収となる。

のりば

番線 路線 方向 行先 
3 函館本線  下り 滝川・旭川方面 
2 上り 岩見沢・札幌方面 
1  (臨時ホーム)
駅舎側より記載。

北海道旅客鉄道 歌志内線・函館本線上砂川支線
砂川駅
函館本線上砂川支線 砂川 下鶉
歌志内線      焼山
所属事業者 北海道旅客鉄道
駅構造 地上駅
開業年月日 函館本線 上砂川支線 -
1926年(大正15年)8月1日
歌志内線 -
1891年(明治24年)7月5日
廃止年月日 函館本線 上砂川支線 -
1994年(平成6年)5月16日
歌志内線 -
1988年(昭和63年)4月25日
乗入路線
所属路線 函館本線上砂川支線
キロ程 0.0km(砂川起点)
所属路線 歌志内線
キロ程 0.0km(砂川起点)

上砂川支線

上砂川支線(かみすながわしせん)は、北海道砂川市の砂川駅と空知郡上砂川町の上砂川駅を結んでいた北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の支線の通称である。

歴史

当初は、三井鉱山合名会社が保有する三井砂川炭鉱からの石炭輸送を行うために、三井側が土地を鉄道院へ寄付し、なおかつ三井側の資金により鉄道院が敷設した国鉄所属の専用線であり、1917年(大正6年)7月に鉄道院よりこの条件で敷設許可された。1926年(大正15年)に旅客扱いを始めるにあたり函館本線に組み込まれた。
国鉄再建法に基づく特定地方交通線の指定が進められた際、上砂川支線は「函館本線の一部」として、函館本線と一体として輸送密度が計算されたため、特定地方交通線はおろか地方交通線にも指定されず、幹線として存置された。しかし、当時の三井砂川炭鉱の出炭量は年間約100万トンであり、上砂川支線単独では、貨物輸送密度も幹線の条件(貨物輸送密度が4,000 t以上である線。上砂川支線の場合の年間輸送量の基準は4000 t×7.3 km✕365日=1065万8000 t)にも該当していない。
他方、当支線とほぼ並行する歌志内線は、当支線に比べ旅客・貨物の輸送量はともに多かったが、1988年(昭和63年)に廃止された。同じ駅を起点とし、近い地点を経由し、近いところでは1キロメートル程度の距離しか離れておらず、運炭路線という似た性格を有しながら、函館本線の支線であったゆえ当支線が存続した一方、歌志内線は独立した線名を有していたため廃止対象路線となった。これは、特定地方交通線の硬直性を示す一例として知られている。

国鉄分割民営化に伴い、JR北海道へ承継されたが、炭鉱の閉山による貨物輸送廃止・沿線人口の減少に伴う旅客減少の影響もあり廃線となった。支線とはいえ、JR北海道発足以来初の「幹線」廃止となった。廃止前から、北海道中央バスが既に並行して多くの路線バス(歌志内線・上砂川線)を運行していたため、代替交通機関は設定されなかった。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):砂川駅 - 上砂川駅間 (7.3 km)
  • 軌間:1,067 mm(狭軌)
  • 駅数:5駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:なし(全線非電化)
  • 閉塞方式:スタフ閉塞式(全線1閉塞)

歌志内線

歌志内線(うたしないせん)は、日本国有鉄道(国鉄)、および北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道砂川市(空知支庁管内)の砂川駅で函館本線から分岐し、歌志内市の歌志内駅までを結んでいた。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、1988年(昭和63年)4月25日をもって全線廃止となった。

歴史

沿線の炭鉱から産出される石炭の積み出しのため、1891年(明治24年)に北海道炭礦鉄道の手で開業した。1906年(明治39年)には鉄道国有法により買収・国有化され、官設鉄道となる。以来運炭輸送を中心に盛況を見せ、1963年(昭和38年)には営業係数64と日本で4番目の黒字路線となる実績を挙げてきたが、炭鉱の衰退に伴って客貨とも輸送量が減少した。
1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行により、1984年(昭和59年)6月に第2次特定地方交通線に指定された。一時は第三セクター化も検討されたが、鉄道の存続意義であった北海道炭礦汽船空知炭礦の閉山が確定的となり、1987年(昭和62年)に日本国有鉄道(国鉄)から北海道旅客鉄道に承継された後、1988年(昭和63年)4月に廃止、バス路線へ転換された。なお、同じように砂川駅から分岐していた運炭路線の函館本線上砂川支線は、当路線を下回る輸送量にも関わらず「函館本線の一部」としてこの時には廃止対象にならず、1994年(平成6年)に廃止された。
なお、1982年度の営業係数は394だった。
また、終点の歌志内駅から根室本線の茂尻駅もしくは平岸駅まで延伸する構想もあった。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):砂川駅 - 歌志内 14.5km
  • 軌間:1,067 mm(狭軌)
  • 駅数:7駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:なし(全線非電化)
  • 閉塞方式:タブレット閉塞式(全線1閉塞)